オーナーブログ

2013.03.28

死生観について。

死生観について。



昨日、両親を通して交流のあったH先生がお亡くなりになった。



H先生は整体の先生でもあり、仏道を通じていろいろなことを厳しくも教えてくれた方。



霊的なパワーのすごい強い方。



ここ何年かは会っていなく体調が悪くガンを患っている事を聞いていた。



僕には人が亡くなるということについて客観的に見れる理由がある。



16年か17年前僕には2歳年下の弟がいた。



確か25歳くらいの時だったと思う。弟は23歳という若さでこの世を去った。



自分にとってそこまで近しい人の死が突然訪れるという事は、衝撃的な出来事だった。



弟が先に死んでしまうなんてことは考えたこともなかった。



理由は慢性腎不全。透析をすれば死ななくても済んだ病気だ。



でも弟は毎週2.3回も病院に透析に通うなんて生活は選択肢になかったんだろう。



透析をするという選択はしなかった。結果亡くなった。



でもそれは弟自身の選択の結果だった。



それは人がどうこういうと言うところの向こうにある選択。



自分の腎臓を移植できなかったのかとか、いろいろ今でも思うことはある。



でもそれを今思っても仕方がないこと。



選択によってその事実が現れただけ。



弟にとっての寿命がそこで終わったということだけ。



長く生きる方が何倍も苦しみながら生きていかなきゃならないのだから



そこで寿命が終わった弟は、僕より遥かに輪廻転生の回数が多く、位が高かったんだろうな。



今回の人生ではそんなに苦労して長く生きる必要がなかったから早く終わった



のだろうと考えれるようになった。



人はいずれ誰しも死に直面する。それを客観的に見ると、



それがその方の寿命だったのだと思える様になる。



でも今日H先生の告別式に出て思ったことがある。



先生はとても穏やかな顔をしていらした。



ガンで苦しかったと思う。でもお顔はとっても穏やかでした。



いい顔をしてたなあ。修行を終え上の世界に旅立たれたんだなと、



本当に思えた。



最後のお別れの時に、皆に先生は「ありがとうね先生」「先生ありがとう」



て言われていた。本当にみんながそう言ってた。



みんなの想いが心に伝わってきて涙が止まらなかった。



いくら人の死を客観的に見えるようになったとはいえ、



やはり想いというものはすごいパワーを持っているんだと強く感じた。



そこまでの想いを、今自分の向かって行っていることにつぎ込んで思いっきりやれよって、言われてる気がした。



最後のお別れの時に、みんなに口々にありがとうと言われる生き方をした



先生は本当にすごい。



自分も人生最後にありがとうと言われる生き方ができるだろうか…。



うちの両親が弟の体調が良くない時に、何かに助けの道を求めて、



仏道の勉強を始めてから知り合ったのがH先生だったと思う。



それからほどなくして弟が亡くなり、それ以来ずっとの付き合いでした。



今頃は弟が先生の道案内をしてるんだろうなって思った。



「秀治君久しぶり」って先生が言ってるのが聞こえてくるようだな。



人って本当にいつ自分の人生の終わりがくるかはわからない。



そのいつかわからないけど、終わりの日がくるその日まで、



力一杯、自分に今できることを悔いが残らないように、



一日一日一生懸命改めて生きて行こうと思った。



そんな日でした。